コーヒーピープル
January 24, 2008
コーヒーピープル:アンドレア イリー氏 味へのこだわりを語る
先日、日本橋に行きました。
デパートで買い物して、疲れたのでお茶をしようと思って、エスプレッサメンテイリーが近くにあったので入りました。
でも、実はデパートから出た瞬間に目に入ったのは、ナナメ反対にあるスターバックスでした。最初、たくさんの買い物袋を下げてスタバに行ったのですが、もと来た側を振り返るとイリーがあるのを発見。そういえば、あったなーと思い出しました。
結構、さりげないので、使い慣れてないと見過ごしそうです。ただ単に私がおっちょこちょいという話もありますが…。またてくてくと歩いて、反対側に戻ってイリーに入りました。結構、賑わってました。
店内も天井が高くて広々として、気持ちいいですね。とってもモダーンな雰囲気です。
それで、ふとイリーの事をサイトで見ようと思ったら、coffeegeekでアンドレア イリー氏がニューヨークで講演した際に発表した家庭用エスプレッソマシンの開発にあたってエスプレッソやコーヒーの味についてのこだわりを話していました。
かいつまんでご紹介しようと思います。
■芸術と科学、伝統と革新■
昨年は、コンテナの中にカフェ、という斬新なカフェを出現させたイリー。
ニューヨークや世界で評判になったらしいですね。カフェときわ荘さんやネットでニュースが色々と出てました。
イリーと言えば、イリーのカップコレクションなども有名ですよね。
そんなイリーは、1933年にイタリアで創業したファミリービジネス。
今や140を超える国と取引のあるグローバルカンパニーです。
芸術性を追求しつつ、コーヒーの味にこだわりを持っている。その調和というかコーヒーと芸術性を一緒に保つ秘訣は何にあるのでしょうか?
イリー氏は言います。
「イリーは、伝統というものだけに集中しているのではなく、伝統と革新ということに重きを置いている。そこには常に芸術と科学が存在しているんだ。もし伝統だけにしばられるようになったら、年老いた証拠だ。常に、挑戦し続けなければならないし、新しく先手をうつことで伝統を若返らせる必要があるんだよ。
先手をうつのも、こうした事は体験的なものだから、多くの人に知られたり体験されたりしたら、変えるべきなんだよ。サーカスみたいなものだね。毎日やらなければならないサーカスみたいなものだよ。」
常に伝統を守りつつ、何か新しい事はできないか?それは、芸術的な部分だけでなく、コーヒーの技術に対しても同様の事を考えています。
そこで開発されたのが、ハイパーエスプレッソマシーン!
家庭でも、常に変わらないイリーの味を“めちゃくちゃ”ではなく優雅に入れて楽しんでもらえるように、だそうです。
というのも、イリー氏にしてみると、
「エスプレッソは抽出という点からすると悪夢のようだね。グランドして、ドーシングして、タンピングして、、、」その入れる工程が“めちゃくちゃ”で“優雅じゃない”と思っている部分もあるからだそうです。
■家庭でも同じ味を楽しむ。ーハイパーエスプレッソマシン■

抽出の過程で変わってしまいやすい要因を取り除く事によって、常に一貫したイリーの味を自宅でも楽しんでもらおうと、開発されました。
プラスチック製のカプセルを専用のマシンに挿入するだけ。
そうするとお湯にひたされ、エスプレッソが抽出されます。

実際に将来的に、家庭の全自動マシンでお店の味と同等のものかより近くなるのかは、さておき、、イリー社は常に変わらない味、使いやすく簡単にできる抽出や芸術的なフォームを作りだすことにこだわっています。
上の画像のマシンはカプセル専用。
下の画像のマシンは、ポータフィルターがついているので、粉もカプセルも両方使えるタイプだと思います。下のタイプなら自宅で本格的にエスプレッソを入れたい場合にも楽しめますね。簡単にしたい時はカプセルを使えばいいですし。
(イリーの公式サイトはイタリア語。英語版ってないんですかねぇ。。)
■エコにも配慮■
このエスプレッソに使われているカプセルはプラスチック製で、リサイクル可能。
イリーで作っているパッケージ類、資源類は全てリサイクル可能にしているのだとか。
とりわけプラスチックは何度でもリサイクルが可能であるし、場合によっては物を燃やす時の補助的な燃料にもなるから、そういう観点からも素材を選んだりするそうです。
そして、プラスチック製のカプセルにしたのは、中身にきちんとコーヒーが入っているのが見えるから。
「人間というのは、中に何が入っているのか知りたいものだからね」と。
*確かに、私、ネスレのネスプレッソのカプセルの中身、見たくなりました。笑*
■常に一貫した味を世界中で■
イリーのエスプレッソブレンドは9種類の豆、14の異なる国々の豆を使っています。それだけの種類を用意することによって、代用を可能にしています。
9種類ほど用いることによって、完璧なバランスを取ることができるし、ブラジル豆の典型的なチョコレートやアーモンドのような味、東アフリカと中央アメリカのウォッシュトが持つ花のようなフルーティな香り、それらによって酸味と苦味のバランスを取るのに一役買ってくれるのです。それと同時に、長い間安定した状態を保てるのです。
限りなくベストなコーヒーを作り出すということと常に一定の品質レベルを保つということがイリーの目標でもあるからです。
そして、パッケージに入った製品だけでなく、カップの中でも常に一定の一貫したレベルを保つのに技術もまた一助となると考えています。
冒頭にも書きましたが、140カ国で展開するイリーは、マーケティングも世界中で同じです。イリーブレンドから始まり、どこで飲もうとも常に同じであることが絶対的な約束事です。本当のイタリアンエスプレッソ楽しむ国々がたくさんあるのは、皆、“本物”を求めているからだと言います。
本物のイタリア式をイリー製品を通じて体験してもらうというのがイリーにとってお客様へのお約束なのでしょう。
■イタリアと北アメリカを常に念頭に■
イリーでは製品を企画する時に、必ずイタリアと北アメリカについて考えるそうです。
イタリアは当然として、なぜ北アメリカなのでしょうか?
それは、洗練さという点と文化という点から、大きく両者は異なるからだと言います。そのため、アメリカ人消費者の行動や要求に対して、常に一貫した方法でイタリアの本物と品質を伝えることが大事だと考えています。
すなわち、クリーンで、シンプルで、一貫していて、信頼でき、美しく、そして本物でなければならない、ということです。
まさにビジネスを進めて行く上では大事なポイントですよね。
最後に、イリー氏はどこでコーヒーを飲んでいるんでしょうか?
「自宅!朝食用にはモカを使ってる。(これも何やら新しいものを開発したようです)、それから朝食後はこの新しいマシンやプロ用のマシンを使ってバーで入れるよ」とのことでした。
やっぱりイタリア人にエスプレッソは欠かせないですね。仕事がらもありますけど、きっと生活の一部なんでしょうね。
***
管理人の私にとっても、コーヒーは今や生活の一部です。
最近は、ポッドタイプのコーヒーが日本でもずいぶんと出て来ていますし、マシンも色々と出てますね。ヨーロッパなどではかなりポピュラーらしいですね。
ポッドタイプやカプセルタイプなどは気楽ですよね。
ポン!と入れて、スイッチを押すだけ。結構悪くない味ですし。
コーヒー業界では今まであまり見ないタイプのビジネスモデルですよね。なかなか面白いかと。もちろん、色々とリスクはありますが、消費者にしてみればポッドの規格が各社一緒であれば、マシンさえあれば色々な会社の味を楽しめていいな、と思ってます。
それに、家庭で粉挽いて、タンピングして、いつも同じ“おいしく”入れるのはちょっと難しいこともありますね。それが楽しい事もありますけどね。
イリー氏によれば、消費者にとっての悪夢は「どうやったらいつも同じ味が出せるんだ?!」ってことらしいです。
私も同じ悩みを持ってます。笑。さすが、素晴らしいマーケターです。
こうしたアイテムはエスプレッソへ興味を持つための入口としても、普段の生活の一部としてよりたくさん飲むようになるキッカケとしても良いものだと思っています。
話はそれましたが、、
文化的、技術的、科学的、芸術的側面だけでなく、様々な角度から市場を俯瞰的に見つめて事業を展開するイリーからはますます目が離せません。
実は、結構イリーファンな管理人です。笑
参照:coffeegeek.com
デパートで買い物して、疲れたのでお茶をしようと思って、エスプレッサメンテイリーが近くにあったので入りました。
でも、実はデパートから出た瞬間に目に入ったのは、ナナメ反対にあるスターバックスでした。最初、たくさんの買い物袋を下げてスタバに行ったのですが、もと来た側を振り返るとイリーがあるのを発見。そういえば、あったなーと思い出しました。
結構、さりげないので、使い慣れてないと見過ごしそうです。ただ単に私がおっちょこちょいという話もありますが…。またてくてくと歩いて、反対側に戻ってイリーに入りました。結構、賑わってました。
店内も天井が高くて広々として、気持ちいいですね。とってもモダーンな雰囲気です。
それで、ふとイリーの事をサイトで見ようと思ったら、coffeegeekでアンドレア イリー氏がニューヨークで講演した際に発表した家庭用エスプレッソマシンの開発にあたってエスプレッソやコーヒーの味についてのこだわりを話していました。
かいつまんでご紹介しようと思います。
■芸術と科学、伝統と革新■
昨年は、コンテナの中にカフェ、という斬新なカフェを出現させたイリー。
ニューヨークや世界で評判になったらしいですね。カフェときわ荘さんやネットでニュースが色々と出てました。
イリーと言えば、イリーのカップコレクションなども有名ですよね。
そんなイリーは、1933年にイタリアで創業したファミリービジネス。
今や140を超える国と取引のあるグローバルカンパニーです。
芸術性を追求しつつ、コーヒーの味にこだわりを持っている。その調和というかコーヒーと芸術性を一緒に保つ秘訣は何にあるのでしょうか?
イリー氏は言います。
「イリーは、伝統というものだけに集中しているのではなく、伝統と革新ということに重きを置いている。そこには常に芸術と科学が存在しているんだ。もし伝統だけにしばられるようになったら、年老いた証拠だ。常に、挑戦し続けなければならないし、新しく先手をうつことで伝統を若返らせる必要があるんだよ。
先手をうつのも、こうした事は体験的なものだから、多くの人に知られたり体験されたりしたら、変えるべきなんだよ。サーカスみたいなものだね。毎日やらなければならないサーカスみたいなものだよ。」
常に伝統を守りつつ、何か新しい事はできないか?それは、芸術的な部分だけでなく、コーヒーの技術に対しても同様の事を考えています。
そこで開発されたのが、ハイパーエスプレッソマシーン!
家庭でも、常に変わらないイリーの味を“めちゃくちゃ”ではなく優雅に入れて楽しんでもらえるように、だそうです。
というのも、イリー氏にしてみると、
「エスプレッソは抽出という点からすると悪夢のようだね。グランドして、ドーシングして、タンピングして、、、」その入れる工程が“めちゃくちゃ”で“優雅じゃない”と思っている部分もあるからだそうです。
■家庭でも同じ味を楽しむ。ーハイパーエスプレッソマシン■

抽出の過程で変わってしまいやすい要因を取り除く事によって、常に一貫したイリーの味を自宅でも楽しんでもらおうと、開発されました。
プラスチック製のカプセルを専用のマシンに挿入するだけ。
そうするとお湯にひたされ、エスプレッソが抽出されます。

実際に将来的に、家庭の全自動マシンでお店の味と同等のものかより近くなるのかは、さておき、、イリー社は常に変わらない味、使いやすく簡単にできる抽出や芸術的なフォームを作りだすことにこだわっています。
上の画像のマシンはカプセル専用。
下の画像のマシンは、ポータフィルターがついているので、粉もカプセルも両方使えるタイプだと思います。下のタイプなら自宅で本格的にエスプレッソを入れたい場合にも楽しめますね。簡単にしたい時はカプセルを使えばいいですし。
(イリーの公式サイトはイタリア語。英語版ってないんですかねぇ。。)
■エコにも配慮■
このエスプレッソに使われているカプセルはプラスチック製で、リサイクル可能。
イリーで作っているパッケージ類、資源類は全てリサイクル可能にしているのだとか。
とりわけプラスチックは何度でもリサイクルが可能であるし、場合によっては物を燃やす時の補助的な燃料にもなるから、そういう観点からも素材を選んだりするそうです。
そして、プラスチック製のカプセルにしたのは、中身にきちんとコーヒーが入っているのが見えるから。
「人間というのは、中に何が入っているのか知りたいものだからね」と。
*確かに、私、ネスレのネスプレッソのカプセルの中身、見たくなりました。笑*
■常に一貫した味を世界中で■
イリーのエスプレッソブレンドは9種類の豆、14の異なる国々の豆を使っています。それだけの種類を用意することによって、代用を可能にしています。
9種類ほど用いることによって、完璧なバランスを取ることができるし、ブラジル豆の典型的なチョコレートやアーモンドのような味、東アフリカと中央アメリカのウォッシュトが持つ花のようなフルーティな香り、それらによって酸味と苦味のバランスを取るのに一役買ってくれるのです。それと同時に、長い間安定した状態を保てるのです。
限りなくベストなコーヒーを作り出すということと常に一定の品質レベルを保つということがイリーの目標でもあるからです。
そして、パッケージに入った製品だけでなく、カップの中でも常に一定の一貫したレベルを保つのに技術もまた一助となると考えています。
冒頭にも書きましたが、140カ国で展開するイリーは、マーケティングも世界中で同じです。イリーブレンドから始まり、どこで飲もうとも常に同じであることが絶対的な約束事です。本当のイタリアンエスプレッソ楽しむ国々がたくさんあるのは、皆、“本物”を求めているからだと言います。
本物のイタリア式をイリー製品を通じて体験してもらうというのがイリーにとってお客様へのお約束なのでしょう。
■イタリアと北アメリカを常に念頭に■
イリーでは製品を企画する時に、必ずイタリアと北アメリカについて考えるそうです。
イタリアは当然として、なぜ北アメリカなのでしょうか?
それは、洗練さという点と文化という点から、大きく両者は異なるからだと言います。そのため、アメリカ人消費者の行動や要求に対して、常に一貫した方法でイタリアの本物と品質を伝えることが大事だと考えています。
すなわち、クリーンで、シンプルで、一貫していて、信頼でき、美しく、そして本物でなければならない、ということです。
まさにビジネスを進めて行く上では大事なポイントですよね。
最後に、イリー氏はどこでコーヒーを飲んでいるんでしょうか?
「自宅!朝食用にはモカを使ってる。(これも何やら新しいものを開発したようです)、それから朝食後はこの新しいマシンやプロ用のマシンを使ってバーで入れるよ」とのことでした。
やっぱりイタリア人にエスプレッソは欠かせないですね。仕事がらもありますけど、きっと生活の一部なんでしょうね。
***
管理人の私にとっても、コーヒーは今や生活の一部です。
最近は、ポッドタイプのコーヒーが日本でもずいぶんと出て来ていますし、マシンも色々と出てますね。ヨーロッパなどではかなりポピュラーらしいですね。
ポッドタイプやカプセルタイプなどは気楽ですよね。
ポン!と入れて、スイッチを押すだけ。結構悪くない味ですし。
コーヒー業界では今まであまり見ないタイプのビジネスモデルですよね。なかなか面白いかと。もちろん、色々とリスクはありますが、消費者にしてみればポッドの規格が各社一緒であれば、マシンさえあれば色々な会社の味を楽しめていいな、と思ってます。
それに、家庭で粉挽いて、タンピングして、いつも同じ“おいしく”入れるのはちょっと難しいこともありますね。それが楽しい事もありますけどね。
イリー氏によれば、消費者にとっての悪夢は「どうやったらいつも同じ味が出せるんだ?!」ってことらしいです。
私も同じ悩みを持ってます。笑。さすが、素晴らしいマーケターです。
こうしたアイテムはエスプレッソへ興味を持つための入口としても、普段の生活の一部としてよりたくさん飲むようになるキッカケとしても良いものだと思っています。
話はそれましたが、、
文化的、技術的、科学的、芸術的側面だけでなく、様々な角度から市場を俯瞰的に見つめて事業を展開するイリーからはますます目が離せません。
実は、結構イリーファンな管理人です。笑
参照:coffeegeek.com
November 12, 2007
コーヒーピープル:Peet's Coffee founder アルフレッド ピーツ氏
こんばんは。
もう大分前の話になってしまいましたが、、お亡くなりになりましたね、アルフレッド ピーツ氏(1920-2007)。
ご存知の方も数多くいらっしゃると思いますが、“スペシャルティコーヒーの祖父”と呼ばれたアメリカカリフォルニアに本拠地を持つPeet's Coffee & Teaの創設者です。
(前から書こう書こうと思っていて、書き損なってました)
今年2007年8月29日に訃報をネットで見て、静かにショックを受けた私。
何しろ、ほんの数週間前にゾッカオーナーのジェフさんと彼の話をしていて、機会があったらぜひ会うべきだよ、と言われていました。もちろん、その時にはリタイアされていたので、なかなか会えるような方ではなかったと思うんですけどね。
でも、私もお会いしてみたい方でした。
やはり、スペシャルティコーヒーの歴史の始まりは、ピーツコーヒーから始まったのでは、、と思っているので。。
◆紅茶からコーヒーへ◆
ピーツ氏は、1920年にオランダで生まれます。第二次世界大戦前にアルクマールという土地でアルフレッドの父親が小さなコーヒー焙煎店を始めました。
少年だったアルフレッドは、マシンの清掃やこまごました仕事を手伝っていました。
戦時中、ドイツの侵略を受けたオランダで色々な経験をしたアルフレッドは、戦争が終わるとロンドンのリプトン紅茶に見習いとして入ります。
その後、依然オランダの植民地であったインドネシアに移り、紅茶業界で働きました。
しかし、1955年にサンフランシスコへ移住します。
ここで彼の原点に戻る機会がやってきました。
コーヒーの輸入業者に職を得るのですが、サンフランシスコに入荷してくるコーヒーはどれもこれも品質の低い物ばかり。
つのる苛立ちに、彼は自分で何かしなければと決意を固めます。
なぜなら、自分の父がオランダで焙煎していた頃の豆、コスタリカやグアテマラ、東アフリカの高地から買っていたコーヒー豆の素晴らしさを忘れられなかったからです。
◆コーヒー◆
こうして、アルフレッドは高品質な豆のための焙煎施設を探し始めます。
カナダのバンクーバーなども含め様々な土地を巡り、辿り着いたのが、友人が紹介してくれたバークレーの海岸沿い。
ここに小さな店と裏手に焙煎施設を構え、コーヒー革命が始まったのです。
生産者達とのカッピングや愛好者とのブレンド作りなどを行ったりするなど、従来のコーヒーとは異なる方法で高品質なコーヒーを提供し続けました。
バークレー校の学生達や近隣の住民達がこぞって押し掛ける大人気店となりました。
そして、続々とお店をオープンし、スーパーなどでも購入できるようになっていきます。
高品質なコーヒーが誰でも手軽に楽しめるようになっていったのです。
1983年に引退するまで本当に数多くのファンを生み出し(ピーツコーヒーを求めて日に何度もやってくる常連は自らを"peetniks"と当初呼び、徐々にピーツの従業員を差すようになる)、ピーツの引退が惜しまれました。
彼は、自分の人生を振り返ってみて、、と尋ねられた時、こう答えたそうです。
「コーヒーが私の人生を語ってくれる」
まさに、コーヒーに一生を捧げた方の言葉だと思いました。
心よりご冥福をお祈り申しあげます。
Peet's Coffee & Teaウェブサイトはこちらから
***
余談ですが、西海岸のコーヒーハウスは(私はシアトルぐらいしか知りませんが)、コーヒーと紅茶を一緒に扱っているお店が多いですよね。
これもピーツコーヒーの影響なのでしょうか??
もう大分前の話になってしまいましたが、、お亡くなりになりましたね、アルフレッド ピーツ氏(1920-2007)。
ご存知の方も数多くいらっしゃると思いますが、“スペシャルティコーヒーの祖父”と呼ばれたアメリカカリフォルニアに本拠地を持つPeet's Coffee & Teaの創設者です。
(前から書こう書こうと思っていて、書き損なってました)
今年2007年8月29日に訃報をネットで見て、静かにショックを受けた私。
何しろ、ほんの数週間前にゾッカオーナーのジェフさんと彼の話をしていて、機会があったらぜひ会うべきだよ、と言われていました。もちろん、その時にはリタイアされていたので、なかなか会えるような方ではなかったと思うんですけどね。
でも、私もお会いしてみたい方でした。
やはり、スペシャルティコーヒーの歴史の始まりは、ピーツコーヒーから始まったのでは、、と思っているので。。
◆紅茶からコーヒーへ◆
ピーツ氏は、1920年にオランダで生まれます。第二次世界大戦前にアルクマールという土地でアルフレッドの父親が小さなコーヒー焙煎店を始めました。少年だったアルフレッドは、マシンの清掃やこまごました仕事を手伝っていました。
戦時中、ドイツの侵略を受けたオランダで色々な経験をしたアルフレッドは、戦争が終わるとロンドンのリプトン紅茶に見習いとして入ります。
その後、依然オランダの植民地であったインドネシアに移り、紅茶業界で働きました。
しかし、1955年にサンフランシスコへ移住します。
ここで彼の原点に戻る機会がやってきました。
コーヒーの輸入業者に職を得るのですが、サンフランシスコに入荷してくるコーヒーはどれもこれも品質の低い物ばかり。
つのる苛立ちに、彼は自分で何かしなければと決意を固めます。
なぜなら、自分の父がオランダで焙煎していた頃の豆、コスタリカやグアテマラ、東アフリカの高地から買っていたコーヒー豆の素晴らしさを忘れられなかったからです。
◆コーヒー◆
こうして、アルフレッドは高品質な豆のための焙煎施設を探し始めます。
カナダのバンクーバーなども含め様々な土地を巡り、辿り着いたのが、友人が紹介してくれたバークレーの海岸沿い。
ここに小さな店と裏手に焙煎施設を構え、コーヒー革命が始まったのです。
生産者達とのカッピングや愛好者とのブレンド作りなどを行ったりするなど、従来のコーヒーとは異なる方法で高品質なコーヒーを提供し続けました。
バークレー校の学生達や近隣の住民達がこぞって押し掛ける大人気店となりました。
そして、続々とお店をオープンし、スーパーなどでも購入できるようになっていきます。
高品質なコーヒーが誰でも手軽に楽しめるようになっていったのです。
1983年に引退するまで本当に数多くのファンを生み出し(ピーツコーヒーを求めて日に何度もやってくる常連は自らを"peetniks"と当初呼び、徐々にピーツの従業員を差すようになる)、ピーツの引退が惜しまれました。
彼は、自分の人生を振り返ってみて、、と尋ねられた時、こう答えたそうです。
「コーヒーが私の人生を語ってくれる」
まさに、コーヒーに一生を捧げた方の言葉だと思いました。
心よりご冥福をお祈り申しあげます。
Peet's Coffee & Teaウェブサイトはこちらから
***
余談ですが、西海岸のコーヒーハウスは(私はシアトルぐらいしか知りませんが)、コーヒーと紅茶を一緒に扱っているお店が多いですよね。
これもピーツコーヒーの影響なのでしょうか??
July 21, 2006
コーヒーピープル:デイビッド ショマー氏
デイビッド ショマー氏。エスプレッソ愛好家の間で知らない人はいない、というぐらい有名な方ですね。
カフェヴィヴァーチェのオーナーです。
□ちょっと変わったコーヒーラバー□
デイビッド ショマー氏 50歳
家族には、妻と12歳と10歳になる2人の息子がいます。
目つきの鋭いめがねをかけた元エンジニアは、1988年に車を店代わりにしてコーヒービジネスを始めました。
元エンジニアさん。そう、彼はちょっと変わった経歴の持ち主です。
オープン当時、彼はさほどコーヒーに対して大いなる愛情を持っていた訳ではありませんでした。彼は米空軍やボーイング社で技術者として何年も働いていて、プロのフルート奏者になりたいという目的の為に一時的にコーヒービジネスを始めたに過ぎなかったのです
移動カートは、音楽用語の”ヴィヴァーチェ(快活な、生き生きした)”を”コーヒーに対する高揚”した気持ちを表すために社名に用いました。
何年もの間、移動カートでのビジネスは利益が上がりませんでしたが、それとは反対にエスプレッソへの情熱が高まり、フルート奏者になる情熱に取って代わってしまったのでした。
「コーヒーが僕にとっての芸術に、アートになってしまった。もう夢中になってしまったんだよ。」と彼はヴィヴァーチェの新しい店舗でのインタビュー中、そう答えました。
そしてショマー氏は、コーヒーにおける音楽との大きな違いを発見します。それは、北イタリアにコーヒーの抽出方法を学ぶための旅に出ていた時でした。その時に、気付いたのです。コーヒーの世界はきちんとした科学的な調査が欠けているということに。そしてまさにその点は技術者として活躍してきたショマー氏が一役を担えるものだったのです。
彼は少しシャイな面があるせいか過小評価されがちのこともありますが、こと良いコーヒーを生み出すための要素とは何か、といった話になると、とても感情豊かに、かつ饒舌になります。彼はまた、コーヒーの伝道者でもあり、彼の持っている技術についての執筆は本、2本のビデオを始め、数えきれない程です。
そして2001年のある記事が彼を捉えます。抽出時の湯温を一定に保つことによって、エスプレッソの味がより甘くなりえるということを見つけた時でした。
□妻との二人三脚□
ジュネーブ サリバン。ショマー氏の妻でありビジネスパートナーである彼女は、ヴィヴァーチェはおそらく3店舗以上の展開をする予定はないと言います。キャピタルヒル(シアトルの地名でヴィヴァーチェの本店がある)の2件と新規オープンするもう1店舗だけ。なぜなら、彼女はビジネスの規模が拡大するにつれて、夫の才能が浅く広くなってしまうのではないかと危惧しているからでした。
「私と夫は才能を持った人についてよく話をするの。そういった点では、デイビッドはコーヒーに関する才能を持っているわ。そしてデイビッドという人材は唯一のものなの。彼に与えられた時間は有限なのよ。」
サリバンとショマー氏は、大道芸をしている時に出会いました。彼はフルートを演奏し、彼女はベリーダンスを踊ってたそうです。
サリバンは、長い事ヴィヴァーチェのシステムメンテナンスや財務や在庫管理、その他庶務仕事をこなしていました。ショマー氏がエスプレッソを入れ、研究し二人三脚が始まります。
ヴィヴァーチェは、こうした妻の多大なるサポートもあり、今や企業としてしっかりした体制を作り上げています。
実際、例えば、豆の注文が入ると、焙煎したその日に焙煎工場から出荷することが可能になっています。
しかし、彼らの展望や望みは、企業としてしっかりした体制を整えることだけではありません。
あくまでもヴィヴァーチェが“居心地の良い場所、幸せになれる場所”であることが大切なのです。
「私達は大規模なビジネスをするためにここにいるわけじゃないのよ。楽しむためにいるの。」と妻サリバンは言います。
□世界中から集まる信奉者たち□
ショマー夫妻のこうした姿勢、努力は、国際的に多くの人々を魅了しています。
アメリカ国内だけでなく、カナダ、韓国、オーストラリアや遠くはアラブ諸国からもショマーの教えを受けたいと多くのバリスタやカフェオーナーがヴィヴァーチェにやってくるという事実がそれを表しています。
何しろ、シアトルでも有名なヴィヴァーチェの競合店であるカフェヴィータのオーナーですら、ショマー氏の信奉者となっているぐらいです。
ヴィータのオーナーも、「我々は、ショマー氏の(抽出)方法を採用したという事実について何のためらいもない」と言います。「彼は今日のシアトルと世界中におけるエスプレッソのあり方について責任を負っている一人だよ。」との発言もありました。
ヴィヴァーチェは、豆の卸もやっています。
そうした取引先からフランチャイズ化してほしいとの要求もあるようですが、ショマー夫妻は行わないようです。
店を拡げる考えはあまりないけれど、エスプレッソの素晴らしさは拡げたいと考えるショマー夫妻は、セミナーなどを積極的に開催して、良いエスプレッソの抽出の仕方、美しいラテアートの描き方などの方法を伝授しています。
そのうちショマー氏のエスプレッソの日本語訳も出版される予定もあるようです。ますます広がるショマー氏の世界、でしょうか。
ちなみに、彼の開催するセミナー、3日間コースだと約10万円。
ご興味のある方、いかがでしょう?(笑)
*
ショマー氏は、若いバリスタ達にとっては尊敬の対象のようです(当たり前ですね)。コンペティションなどにショマー氏が審査員で加わると会場からは大きな拍手が沸き起こります。細身のショマー氏ですが、その内面はとても太く大きな道が広がっているんですねー。
カフェヴィヴァーチェの様子は、また相棒がシアトル探訪記を書くと思うので、そちらでご紹介したいと思います。
参照:シアトルタイムス
July 09, 2006
コーヒーピープル:トーネ エリン リアバーグさん(2)
今週も出稼ぎウィークとなり、更新が滞りました。
前回の続きです。
□ワールドバリスタチャンピオンシップに思う事□
トーネさんがワールドバリスタチャンピオンシップ(以下WBC)の仕事に関わるようになってWBCは7回目の大会を今年スイスで迎えました。
当然ですが7回も重ねると、参加国の数も増えますし、同時にそれを審査する人間の数もより多く必要になります。
彼女は個人的にWBCにおける改善点は2点あると言います。
1つ目は、WBCの審査員、ジャッジのトレーニングプログラムと認定方法を改善すること。(WBCで審査できる人は国際審判員と呼ばれます)
現行の方法は、WBC大会2日前にジャッジ向けワークショップ(ルールなどの説明会)と筆記試験と味覚試験が行われ、そこで認定されると、審査の実技トレーニングを行って2日後の大会に審査員として参加します。
もちろん前回の大会で合格している国際審判員は試験を受ける必要はありません。筆記または味覚のどちらか一方は合格していた人は、ここで再度試験を受け、合格すれば2日後の大会にジャッジとして参加できます。
トーネさんとしては、大会2日前の1回だけでなく、年間を通じて何回か開催すべきだと言います。
ジャッジの数が不足している事は事実であり、もし新しいジャッジが必要であれば、必須であると考えています。
ジャッジという存在は、ダメなコーヒーはダメ、良いコーヒーは良い、と認識できなければなりません。それができるようになるには、継続してコーヒーを味わい、訓練された舌を持つ必要があります。
そのため、彼女は何回かきちんとしたワークショップを開催し、そうした訓練の機会を与える必要があるのではないか、と考えているのです。
*
2つ目。
参加者であるバリスタのケアをもっと行うこと。
年々、参加国数が増加しているWBCですが、当然ですが、そのうちの何カ国かは初めての参加になります。
そうすると、持ってくるべき道具が分からず持ってこなかったり、大会で使うラマルゾッコのマシンを生まれて初めて触る、とかグラインダーの操作が分からない、と言った事が本当に起きるそうです。
しかも、大会には自分のコーヒー豆を持ってくるのですが、それすら持ってこないという基本中の基本が分からなかったり。
もちろん、WBC側では、そうした情報や大会のルールや規定について全てインターネット上で公開しています。
しかし、そうした情報の伝達も、自国で国内大会を開催する主催者や指導者の意識にも大きく依存してしまうため、なかなか思うように情報が伝わらないようです。
インターネット上で公開していても、自国の指導者が自国のバリスタにちゃんと確認するように、と促し、教育しなければバリスタにうまく伝わりません。
こうしたコミュニケーションのあり方も改善し、参加者が大会終了後、自国に帰って、後進のバリスタ達に参加する価値のある大会だった、と言ってもらって、後に続くバリスタが出でくるようにしなければなりません。
そうでなければ、バリスタの世界も広がらず、ひいてはスペシャルティコーヒーの促進も止まってしまうからです。
□トーネさんの役割□
WBCは非営利団体として存在しており、各国が参加していますので、公平性や中立性、透明性を保つ必要があります。
トーネさんは理事の一人として監視役も行いつつ、マーケティングを専門とする人間として、消費者へスペシャルティコーヒーをどう伝えるべきか、という橋渡し役であると認識しています。
スペシャルティコーヒーの世界も認知してもらうためには、マーケティングツールがまだまだ必要な世界で、その一つがWBCやラテアート大会といった大会になるわけです。
大会は、メディアの関心を集めたり、消費者の認知度を高めたり、こうした情報を交換するための場の一つなのです。
こうした事も全ては多くのコーヒーピープルの協力なしには実現しえないことを彼女はとても強く認識しており、見えない鎖、すなわちみんなの今協力で実現されているんだと言います。全てはより良いスペシャルティコーヒーの世界のために。
**
バリスタの経験を持たないトーネさんは、逆により冷静に今のスペシャルティコーヒー業界に必要なものは何なのかを見極めることができるのかもしれません。
彼女の活躍はまだまだ終わりがないようです。
来年の日本での大会にもきっと登場し、周囲を明るい雰囲気に包んでくれるのでは、と思います。
前回の続きです。
□ワールドバリスタチャンピオンシップに思う事□
当然ですが7回も重ねると、参加国の数も増えますし、同時にそれを審査する人間の数もより多く必要になります。
彼女は個人的にWBCにおける改善点は2点あると言います。
1つ目は、WBCの審査員、ジャッジのトレーニングプログラムと認定方法を改善すること。(WBCで審査できる人は国際審判員と呼ばれます)
現行の方法は、WBC大会2日前にジャッジ向けワークショップ(ルールなどの説明会)と筆記試験と味覚試験が行われ、そこで認定されると、審査の実技トレーニングを行って2日後の大会に審査員として参加します。
もちろん前回の大会で合格している国際審判員は試験を受ける必要はありません。筆記または味覚のどちらか一方は合格していた人は、ここで再度試験を受け、合格すれば2日後の大会にジャッジとして参加できます。
トーネさんとしては、大会2日前の1回だけでなく、年間を通じて何回か開催すべきだと言います。
ジャッジの数が不足している事は事実であり、もし新しいジャッジが必要であれば、必須であると考えています。
ジャッジという存在は、ダメなコーヒーはダメ、良いコーヒーは良い、と認識できなければなりません。それができるようになるには、継続してコーヒーを味わい、訓練された舌を持つ必要があります。
そのため、彼女は何回かきちんとしたワークショップを開催し、そうした訓練の機会を与える必要があるのではないか、と考えているのです。
*
2つ目。
参加者であるバリスタのケアをもっと行うこと。
年々、参加国数が増加しているWBCですが、当然ですが、そのうちの何カ国かは初めての参加になります。
そうすると、持ってくるべき道具が分からず持ってこなかったり、大会で使うラマルゾッコのマシンを生まれて初めて触る、とかグラインダーの操作が分からない、と言った事が本当に起きるそうです。しかも、大会には自分のコーヒー豆を持ってくるのですが、それすら持ってこないという基本中の基本が分からなかったり。
もちろん、WBC側では、そうした情報や大会のルールや規定について全てインターネット上で公開しています。
しかし、そうした情報の伝達も、自国で国内大会を開催する主催者や指導者の意識にも大きく依存してしまうため、なかなか思うように情報が伝わらないようです。
インターネット上で公開していても、自国の指導者が自国のバリスタにちゃんと確認するように、と促し、教育しなければバリスタにうまく伝わりません。
こうしたコミュニケーションのあり方も改善し、参加者が大会終了後、自国に帰って、後進のバリスタ達に参加する価値のある大会だった、と言ってもらって、後に続くバリスタが出でくるようにしなければなりません。
そうでなければ、バリスタの世界も広がらず、ひいてはスペシャルティコーヒーの促進も止まってしまうからです。
□トーネさんの役割□
WBCは非営利団体として存在しており、各国が参加していますので、公平性や中立性、透明性を保つ必要があります。
トーネさんは理事の一人として監視役も行いつつ、マーケティングを専門とする人間として、消費者へスペシャルティコーヒーをどう伝えるべきか、という橋渡し役であると認識しています。
スペシャルティコーヒーの世界も認知してもらうためには、マーケティングツールがまだまだ必要な世界で、その一つがWBCやラテアート大会といった大会になるわけです。
大会は、メディアの関心を集めたり、消費者の認知度を高めたり、こうした情報を交換するための場の一つなのです。
こうした事も全ては多くのコーヒーピープルの協力なしには実現しえないことを彼女はとても強く認識しており、見えない鎖、すなわちみんなの今協力で実現されているんだと言います。全てはより良いスペシャルティコーヒーの世界のために。
**
バリスタの経験を持たないトーネさんは、逆により冷静に今のスペシャルティコーヒー業界に必要なものは何なのかを見極めることができるのかもしれません。
彼女の活躍はまだまだ終わりがないようです。
来年の日本での大会にもきっと登場し、周囲を明るい雰囲気に包んでくれるのでは、と思います。
July 05, 2006
コーヒーピープル:トーネ エリン リアバーグさん(1)
先日バリスタジャムについてご説明しましたが、このコンセプトを作った方についてご紹介したいと思います。
その方の名前は、トーネ エリン リアバーグさん。ノルウェー人です。
首都オスロに本社を構える「ソルバーグ&ハンセン」社という1879年に設立された古い歴史を持つコーヒー&紅茶卸の会社でマーケティング全般を統括しています。
それと同時に、彼女はヨーロッパスペシャルティコーヒー協会(以下SCAE)の理事であり、ワールドバリスタチャンピオンシップ(WBC)理事メンバーの一人かつWBCジャッジでもあります。
私は、幸運にもベルンで理事会のミーティングに参加する機会を頂き、その時に彼女に初めてお会いしたのですが、頭の回転が早くてきぱきと物事を進めつつ周囲への配慮も忘れない人、という印象を受けました。
私が話をしたい時も、その様子をきちんと察知して、私が話を始められるように周囲の人の話を止めてくれたり、色々と気配りをしていただきました。
周囲の評価も明るく、前向きで、スペシャルティコーヒーへの情熱を持った優秀かつパワフル!なマーケティングパーソンとして一目も二目も置かれている方です。
以前ご紹介したノルディックバリスタカップでも、彼女は設立メンバーの一人です。バリスタジャムも彼女のアイデアが元で、2001年に初めてノルウェーで開催されました。
そんな彼女はどんなキャリアの持ち主なのでしょうか?
□スペシャルティコーヒーの世界へ□
1997年初夏、現在勤めているソルバーグ&ハンセン社(以下S&H)の面接に向かいます。
それまでは約8年間、いわゆる”ドットコム”ビジネス、IT関係の仕事をしていたそうですが、コンピューターと向き合って仕事をするのに飽き飽きして、もう少し人間と向き合う仕事がしたくなったそうです。
そこで、一念発起して再度勉強を開始し、PRおよびマーケティングに関する修士過程を修了しました。
修士取得後、ガートナーグループでのマーケティング責任者として就職しそうでしたが、なかなか返事が来なかったためS&H社を受けました。
S&H社も北欧にある古い会社のご多分に漏れず、マーケティング部分が弱かったため、強化したいと考えていました。
そこへトーネさんが向かい、面接の結果、まずは6ヶ月の雇用契約という話になりました。
トーネさんは、最初は自分の望むキャリアではないかな、と思ったそうですが、入社して1ヶ月ほど経ち、生豆や焙煎、カッピング、バリスタという職業について学ぶにつれ、”何か”が彼女の中で起こったそうです。
そして当時バリスタ責任者であったウィリーハンセン氏と出会います。
トーネさんとハンセン氏。
ソルバーグ&ハンセン社の”新しい時代”の立役者が揃ったのです。
そして、結局、ガートナーグループのマーケティング責任者の地位を蹴って、S&H社で働き続ける事となりました。
彼女は、自分がいるべき場所はここだ、と感じたそうです。
□初めてのバリスタ大会 in Norway□
S&H社でマーケティング活動が始まります。
彼女のミッションは、いかに最終消費者であるお客様に、自分たちが飲んでいるコーヒーはS&H社のものだということを認識させ、認知度をあげるべきか、そして、スペシャルティコーヒーが普通のいわゆるコマーシャルコーヒーとどう違うのか、をどのようにして認識してもらうか、という事でした。
その時に、バリスタという職業を通して啓蒙活動を行う事を考えます。
S&H社にとっても新しい試みでした。
バリスタ責任者であるハンセン氏との二人三脚が始まります。
バリスタのトレーニングプログラムもゼロから考え、作り上げて行きました。
そして1998年2月、SCAEのクリエイティブディレクターをしているアルフ クレイマー氏のアイデアを元に、トーネさんとハンセン氏でノルウェー初のバリスタ大会を開催します。
最初のルールやスコアシートなどは、シェフの料理大会を参考に作ったものだったそうです。
そして、3人の審査員に対して、バリスタはエスプレッソ、カプチーノ、シグナチャードリンクをそれぞれ1杯ずつ用意するだけ。
審査員は同じカップからそれぞれストロー(!)を使って試飲したそうです。
もちろん翌年には様々な改善が施されました。
(確かにちょっとストローで一杯のコーヒーを飲むのは…笑)
そして1999年には初のノルディックバリスタカップが開催されます。
その時はノルウェーが優勝し、スウェーデン、デンマークと続きました。
こうしたマーケティング活動を続けていたトーネさんの活躍の場はさらに広がります。
1999年にSCAEが設立され、それに先立つこと1998年の秋、モンテカルロで開催される予定の第一回ワールドバリスタチャンピオンシップ(WBC)を手伝ってくれないかとの依頼を受けました。
彼女も設立メンバーの一人として、ルールや規定、審査プログラムやスコアシートなどの確立に尽力しました。
彼女も言います。「これは一人でできるような仕事じゃないわ。数多くのコーヒーを愛する人達の手でできあがっているものなの。」と。
*
WBC大会の設立は、彼女のスペシャルティコーヒーへの献身がますます深まって行く契機となりました。
次回は彼女がWBCについて思う事などをご紹介したいと思います。
その方の名前は、トーネ エリン リアバーグさん。ノルウェー人です。首都オスロに本社を構える「ソルバーグ&ハンセン」社という1879年に設立された古い歴史を持つコーヒー&紅茶卸の会社でマーケティング全般を統括しています。
それと同時に、彼女はヨーロッパスペシャルティコーヒー協会(以下SCAE)の理事であり、ワールドバリスタチャンピオンシップ(WBC)理事メンバーの一人かつWBCジャッジでもあります。
私は、幸運にもベルンで理事会のミーティングに参加する機会を頂き、その時に彼女に初めてお会いしたのですが、頭の回転が早くてきぱきと物事を進めつつ周囲への配慮も忘れない人、という印象を受けました。
私が話をしたい時も、その様子をきちんと察知して、私が話を始められるように周囲の人の話を止めてくれたり、色々と気配りをしていただきました。
周囲の評価も明るく、前向きで、スペシャルティコーヒーへの情熱を持った優秀かつパワフル!なマーケティングパーソンとして一目も二目も置かれている方です。
以前ご紹介したノルディックバリスタカップでも、彼女は設立メンバーの一人です。バリスタジャムも彼女のアイデアが元で、2001年に初めてノルウェーで開催されました。
そんな彼女はどんなキャリアの持ち主なのでしょうか?
□スペシャルティコーヒーの世界へ□
1997年初夏、現在勤めているソルバーグ&ハンセン社(以下S&H)の面接に向かいます。
それまでは約8年間、いわゆる”ドットコム”ビジネス、IT関係の仕事をしていたそうですが、コンピューターと向き合って仕事をするのに飽き飽きして、もう少し人間と向き合う仕事がしたくなったそうです。
そこで、一念発起して再度勉強を開始し、PRおよびマーケティングに関する修士過程を修了しました。
修士取得後、ガートナーグループでのマーケティング責任者として就職しそうでしたが、なかなか返事が来なかったためS&H社を受けました。
S&H社も北欧にある古い会社のご多分に漏れず、マーケティング部分が弱かったため、強化したいと考えていました。
そこへトーネさんが向かい、面接の結果、まずは6ヶ月の雇用契約という話になりました。
トーネさんは、最初は自分の望むキャリアではないかな、と思ったそうですが、入社して1ヶ月ほど経ち、生豆や焙煎、カッピング、バリスタという職業について学ぶにつれ、”何か”が彼女の中で起こったそうです。そして当時バリスタ責任者であったウィリーハンセン氏と出会います。
トーネさんとハンセン氏。
ソルバーグ&ハンセン社の”新しい時代”の立役者が揃ったのです。
そして、結局、ガートナーグループのマーケティング責任者の地位を蹴って、S&H社で働き続ける事となりました。
彼女は、自分がいるべき場所はここだ、と感じたそうです。
□初めてのバリスタ大会 in Norway□
S&H社でマーケティング活動が始まります。
彼女のミッションは、いかに最終消費者であるお客様に、自分たちが飲んでいるコーヒーはS&H社のものだということを認識させ、認知度をあげるべきか、そして、スペシャルティコーヒーが普通のいわゆるコマーシャルコーヒーとどう違うのか、をどのようにして認識してもらうか、という事でした。
その時に、バリスタという職業を通して啓蒙活動を行う事を考えます。
S&H社にとっても新しい試みでした。
バリスタ責任者であるハンセン氏との二人三脚が始まります。
バリスタのトレーニングプログラムもゼロから考え、作り上げて行きました。
そして1998年2月、SCAEのクリエイティブディレクターをしているアルフ クレイマー氏のアイデアを元に、トーネさんとハンセン氏でノルウェー初のバリスタ大会を開催します。
最初のルールやスコアシートなどは、シェフの料理大会を参考に作ったものだったそうです。
そして、3人の審査員に対して、バリスタはエスプレッソ、カプチーノ、シグナチャードリンクをそれぞれ1杯ずつ用意するだけ。
審査員は同じカップからそれぞれストロー(!)を使って試飲したそうです。
もちろん翌年には様々な改善が施されました。
(確かにちょっとストローで一杯のコーヒーを飲むのは…笑)
そして1999年には初のノルディックバリスタカップが開催されます。
その時はノルウェーが優勝し、スウェーデン、デンマークと続きました。
こうしたマーケティング活動を続けていたトーネさんの活躍の場はさらに広がります。
1999年にSCAEが設立され、それに先立つこと1998年の秋、モンテカルロで開催される予定の第一回ワールドバリスタチャンピオンシップ(WBC)を手伝ってくれないかとの依頼を受けました。
彼女も設立メンバーの一人として、ルールや規定、審査プログラムやスコアシートなどの確立に尽力しました。
彼女も言います。「これは一人でできるような仕事じゃないわ。数多くのコーヒーを愛する人達の手でできあがっているものなの。」と。
*
WBC大会の設立は、彼女のスペシャルティコーヒーへの献身がますます深まって行く契機となりました。
次回は彼女がWBCについて思う事などをご紹介したいと思います。
June 10, 2006
世界のバリスタたち(2)ポールバセット
昨年、日本に辻口バティシェと組んでポールバセットカフェを銀座にオープンしたポールバセットさんですが、快進撃が続いてますね。新宿にオープンしたかと思えば、今月半ばには自由が丘に開店予定。
さてさて、2000年に始まったワールドバリスタチャンピオンシップは、2003年の4回目までは北欧勢が優勝していました。
そこに北欧以外で初めて優勝を飾ったのが、このポールバセットさん。
彼は、元々バリスタとして出発していますが、現在はスペシャルティコーヒーの促進活動を担う”大使=広報担当”としての活動がメインとなっています。(もちろん、カフェオーナーという一面もありますが)
農作物であるスペシャルティコーヒーは、天候などの影響もあって年ごとに出来が異なる場合もあります。
そうしたことから生じる誤解を取り除き、持続可能な生産を目指しつつ芸術的でさえあるスペシャルティコーヒー業界について、もっと一般の人々に知ってほしいと、彼は活動を続けています。
ご自分で経営していたり、なんらかのビジネスに関わっている方にもご理解いただけるかと思いますが、「お客様を啓蒙する」という事は、事業の成功の上で大切な要素になります。
そして、そのために、カフェではカッピング講座やおいしいコーヒーの入れ方講座とか、生産地についてや、コーヒー業界の認定制度などについて地域レベルで開いたりして、お客様との間にあるギャップを埋めようとしたりすると思います。
そんな中で、ポールバセットさんは今まで他の人たちがしなかったような形でお客様や一般の人々にコーヒーのすばらしさを伝える手段を取ります。
テレビという媒体を使って。
2003年に作製したドキュメンタリー番組”Coffee Crazy”が、オーストラリアの視聴者たちに好評だったため、続いて”Living with Coffee”という11個のエピソードからなる番組へと発展しました。
現在、この”Living with Coffee”もセカンドシーズンの放映について話が進んでいるそうです。
そんなポールさんが、少しオーストラリアのカフェシーンや、自分の普段飲んでいるコーヒーについて語っていました。
**
Q. オーストラリアのカフェシーンはどんな感じですか?
Paul:オーストラリアは、様々な文化が同居している国だから、コーヒーももちろん色々な飲み方で(エスプレッソに限らず)、人々は楽しんでる。
ただ、オーストラリは多少、エスプレッソ文化が(他の国に比べて)進んでいるとも言えるかな。
最近では、待ち合わせ場所にパブ(立ち飲みのバーみたいなものですね)じゃなくて、カフェを選ぶようになってるね。
Q. 普段はどんなコーヒーを飲むんですか?
Paul:ミルク入りのコーヒーとかは滅多に飲まないよ。大体ブラックで飲むんだ。
なぜなら、自分のコーヒーをそのまま味わいたいからね。
このコーヒーの生産地はどこだろう、とか、どう焙煎されたのか、とか、どう抽出されたのか、といった事を知りたいから基本的にはブラックで、お砂糖も入れたりしないよ。
ちょっと、その辺に関してはこだわっているかも。
Q. コーヒーに魅了されたきっかけはイタリアに旅した時と聞きましたが?
Paul: そうだよ。約7年前ぐらいかな。
イタリアでバール巡りするのは楽しかった。イタリアのバールにはロマンや魅力があるし。イタリアでは、コーヒーが特別な生活必需品のように扱われているな、と感じたよ。
最後に新番組について語っていました。
”Living with Coffee”のセカンドシーズンは、全13エピソードからなるもので、この番組は役に立ちながら楽しいものにしたいと考えてる。
でも、ただ単にコーヒー文化を紹介したり、おいしいコーヒーの入れ方を紹介したりするわけじゃないよ。”生き方”についての番組でもあるんだ。
**
ポールさんは、なるべくお客様と業界の間にある溝を埋めたいと考え、こうした活動を積極的に進めているそうです。
人々の世界をより質の良いもの(スペシャルティコーヒー)へと拡げたい、との思いから全ては始まっているのでした。
コーヒーというバリスタからお客様へ渡される飲み物について、お客様の理解を得るというのは、大変意義のあることだと思います。
コーヒーを提供する側は少しでもお客様においしいものを提供したいと考えると思いますけど、それがどうやって手元にやってくるのか(栽培から焙煎、抽出まで含め)、そんな事を理解してもらえたら、その一杯はもっともっとおいしいものに、その一杯を飲む時間はより素敵なものになりそうですよね。
-----------
ちなみに、このポールさんの番組のファーストシーズンはDVD化されていて、ポールバセットWebサイトで購入可能との事でした。
残念ながら、サイトは構築中でしたけど。。
http://www.paulbassett.com/
http://www.paulbassett.jp/(日本のサイトです)
May 27, 2006
世界のバリスタたち(1):第7代世界チャンピオン クラウス トムセン氏
一昔前まで、バリスタという職業に関する認知度はとても低いもので、役割としてはとても軽んじられていました。それが世界的な常識だったと言います。
日本でも、もちろんまだまだ認知度も社会的な地位も低いと言わざるを得ませんが、少しずつスペシャルティコーヒーへの注目が高まる中、同時にバリスタという職業に対する認識も高まって来ているのではないだろうか、と思う今日この頃です。
困難な状況にありながらも、バリスタという職業を経て、コーヒー業界の中で確固たるキャリアを築いている人々もいます。
そんな世界的に活躍する元バリスタ、現役バリスタの方々を少しずつご紹介したいと思います。
まず最初は、今回の第7回ワールドバリスタチャンピオンシップで優勝したデンマークのクラウス トムセン氏。
□それは緑のエプロンから始まった□
クラウス トムセン氏
その彼とコーヒーの最初の関わりは、ロンドンのスターバックスから始まりました。
緑のスターバックス色のエプロンを身に着けていましたが、その当時は今と比べるとさほどスペシャルティコーヒーに興味を持っていなかったようです。
しかし、コペンハーゲンに戻り地元のコーヒーショップに勤めますが、そこも彼は満足できませんでした。
そして、偶然から今の職場であるエステイトコーヒーに巡り会うことができました。ここは、カップオブエクセレンスの目利きの高い入札者としても有名なコーヒー店です。
□スペシャルティコーヒーへの目覚め□
トムセン氏によると、
「僕は、エスプレッソ以上のことをしたかった。エステイトコーヒーはまさに自分が求めていたものだった。熱心なバリスタから学ぶ事ができる機会と世界中の色々な最良のコーヒーをテイスティングする機会が得られるし。」と言います。
彼の探究心と研究心はとどまる事を知りません。
「異なる技術を使ったり、方法を毎日のように試すのが大好きで、それによってどうコーヒーの味に影響が出てくるのかを見るのが本当に好きなんだ。」
「朝起きて、どんより曇って雨が降っていたりしても、今日がカップオブエクセレンスの豆が入荷すると思うと仕事に行きたくなる、そんな仕事を持っているなんて、すごいよね。」
こうした熱意はトムセン氏を学ぶこととスペシャルティコーヒーに関するあらゆる知識を拡げる原動力となっているようです。
彼は、焙煎にも挑戦していたり、カッピンググループに入って、どの生豆を仕入れるべきか、といった事にも関わっています。
□スペシャルティコーヒーの最後の担い手として□
トムセン氏は、店のシフトに入っていない時も自分自身がバリスタであることを常に考えるそうです。
「コーヒーの色々な側面を学べば学ぶ程、バリスタという職業がより深く重要なものになるんだ。なぜなら、男女問わず、バリスタという職業は、素晴らしいコーヒーを作ろうとベストを尽くしている全ての人々の長いラインの最後に位置しているからね。」
「コーヒーを育て、栄養を与え、摘み、精製し、ふるいにかけて等級分けする。そして出荷し、保管し、焙煎し、袋詰めにする。皆、最善を尽くしてコーヒーに関わってる。こんな過程を経て、最後にバリスタがダメなコーヒーを入れたらどうなる?」
「僕はコーヒーに関することを学んでいても、やっぱりエスプレッソマシンの前に立って、バリスタという仕事をするだろうな。
誤解もあるんだよ。バリスタという職業は人生において何をしたらプランを持ってない人がやるものだ、ってね。
だから僕は、世の中の人々に気付いてもらいたいんだ。バリスタという職業の背後にある膨大な知識や情報、そしてそれが素晴らしい職人技であるということを。」
**
トップのバリスタも簡単にトップになっている訳ではなく、何時間も何十時間も研究やトレーニング、思考に時間を費やすのですね。
皆さん、本当に研究熱心です。不断の努力と楽しさ、そして作り手への尊重を忘れてはならないな、と思いました。
草分け的な存在として位置するトムセン氏は、お客様から生の声や反応、そして様々な知識を共有することが、このバリスタという職業をしている上での大きな喜びだと言います。
こうして彼は、今日もまたお客様と触れ合うべく、エスプレッソマシンの前に立つのでありました。
*
出典:barista magazine April/May 2006
日本でも、もちろんまだまだ認知度も社会的な地位も低いと言わざるを得ませんが、少しずつスペシャルティコーヒーへの注目が高まる中、同時にバリスタという職業に対する認識も高まって来ているのではないだろうか、と思う今日この頃です。
困難な状況にありながらも、バリスタという職業を経て、コーヒー業界の中で確固たるキャリアを築いている人々もいます。
そんな世界的に活躍する元バリスタ、現役バリスタの方々を少しずつご紹介したいと思います。
まず最初は、今回の第7回ワールドバリスタチャンピオンシップで優勝したデンマークのクラウス トムセン氏。
□それは緑のエプロンから始まった□
クラウス トムセン氏- 現在地:デンマーク コペンハーゲン
- コーヒー業界における元々の職業:バリスタ
- コーヒー業界における現在の職業:キャリア バリスタ
その彼とコーヒーの最初の関わりは、ロンドンのスターバックスから始まりました。
緑のスターバックス色のエプロンを身に着けていましたが、その当時は今と比べるとさほどスペシャルティコーヒーに興味を持っていなかったようです。
しかし、コペンハーゲンに戻り地元のコーヒーショップに勤めますが、そこも彼は満足できませんでした。
そして、偶然から今の職場であるエステイトコーヒーに巡り会うことができました。ここは、カップオブエクセレンスの目利きの高い入札者としても有名なコーヒー店です。
□スペシャルティコーヒーへの目覚め□
トムセン氏によると、
「僕は、エスプレッソ以上のことをしたかった。エステイトコーヒーはまさに自分が求めていたものだった。熱心なバリスタから学ぶ事ができる機会と世界中の色々な最良のコーヒーをテイスティングする機会が得られるし。」と言います。
彼の探究心と研究心はとどまる事を知りません。
「異なる技術を使ったり、方法を毎日のように試すのが大好きで、それによってどうコーヒーの味に影響が出てくるのかを見るのが本当に好きなんだ。」
「朝起きて、どんより曇って雨が降っていたりしても、今日がカップオブエクセレンスの豆が入荷すると思うと仕事に行きたくなる、そんな仕事を持っているなんて、すごいよね。」
こうした熱意はトムセン氏を学ぶこととスペシャルティコーヒーに関するあらゆる知識を拡げる原動力となっているようです。
彼は、焙煎にも挑戦していたり、カッピンググループに入って、どの生豆を仕入れるべきか、といった事にも関わっています。
□スペシャルティコーヒーの最後の担い手として□
トムセン氏は、店のシフトに入っていない時も自分自身がバリスタであることを常に考えるそうです。
「コーヒーの色々な側面を学べば学ぶ程、バリスタという職業がより深く重要なものになるんだ。なぜなら、男女問わず、バリスタという職業は、素晴らしいコーヒーを作ろうとベストを尽くしている全ての人々の長いラインの最後に位置しているからね。」
「コーヒーを育て、栄養を与え、摘み、精製し、ふるいにかけて等級分けする。そして出荷し、保管し、焙煎し、袋詰めにする。皆、最善を尽くしてコーヒーに関わってる。こんな過程を経て、最後にバリスタがダメなコーヒーを入れたらどうなる?」
「僕はコーヒーに関することを学んでいても、やっぱりエスプレッソマシンの前に立って、バリスタという仕事をするだろうな。
誤解もあるんだよ。バリスタという職業は人生において何をしたらプランを持ってない人がやるものだ、ってね。
だから僕は、世の中の人々に気付いてもらいたいんだ。バリスタという職業の背後にある膨大な知識や情報、そしてそれが素晴らしい職人技であるということを。」
**
トップのバリスタも簡単にトップになっている訳ではなく、何時間も何十時間も研究やトレーニング、思考に時間を費やすのですね。
皆さん、本当に研究熱心です。不断の努力と楽しさ、そして作り手への尊重を忘れてはならないな、と思いました。
草分け的な存在として位置するトムセン氏は、お客様から生の声や反応、そして様々な知識を共有することが、このバリスタという職業をしている上での大きな喜びだと言います。
こうして彼は、今日もまたお客様と触れ合うべく、エスプレッソマシンの前に立つのでありました。
*
出典:barista magazine April/May 2006
April 30, 2006
バリスタの人生 in South Africa
南アフリカ共和国におけるスペシャルティコーヒーの話。
□変わりつつある文化□
アフリカ大陸最南端に位置する南アフリカ共和国。
この国の住人たちは、昔から紅茶やビールを愛好していました。イギリス領であったことも影響していたかもしれません。
つい最近まで、南アの人々の口にスペシャルティコーヒーが入るということはなく、コーヒーと言えば、よくて”ネスカフェ”、ひどい場合になるとインスタントコーヒーにチコリが混ざったものだったのです。
しかし、この国にも少しずつ小さいながらも味覚に対する変化が起きています。
そして、そんな変化の中で、よりスペシャルティコーヒーを広める為に働く一人の女性がいます。
南ア最大の都市、ヨハネスブルグにあるカフェ”ヨーロッパグルメバスケット”の24歳のバリスタ、ノムサ ンデレバさんです。
皆さんもよくご存知のように、南アは表舞台にその姿を表すようになったのは10年程前のことです。それというのも、アパルトヘイトによる人種差別による迫害と世界的な動きからの孤立が原因でした。
しかし、様々な民族解放運動の結果として解放、自由化が進み、人種差別の撤廃が進められました。(現実的にはまだまだ根強く残っています)
その自由化運動の動きの影響の一つとしてスペシャルティコーヒー文化が小さいながらも花を咲かせ始めています。
□偶然からコーヒーの世界へ□
ンデレバさんの子供の頃の環境を考えると、バリスタという職業に就くようになるとは想定外のことでした。
彼女は、南アと隣接するジンバブエのプラムツリーという小さな街で生まれ育ちました。
子供の頃は、コーヒーがどんな香りがして、どんな味がするか、またどんな見た目かも知らずに育ったそうです。何もない土地で、ただただ貧困だけがあったと言います。
そんな彼女は、中学3年ぐらいになるとそのまま勉強を続けるお金もなく、ジンバブエのムガベ大統領の圧政のために父親と共に南アに移ります。
そしてたまたまヨハネスブルグで働いていたいとこから、コーヒーショップでウェイトレスを探している、との話を聞き応募しました。
彼女が持っているものといえば、自分で身に着けた教養、そして無邪気な笑顔、ちょうど彼女の名前が意味する”優美さ”を備えた笑顔だけでした。
でもそんな彼女は、そのグルメバスケットカフェでウェイトレスの職を得ます。
そしてウェイトレス仕事の合間をぬって、マネージャーたちからミルクのスチーミングの仕方、エスプレッソの抽出の仕方を教わり、彼女のバリスタとしての才能が開花し始めるのです。
彼女のプロフェッショナルとしての高い意識、人間としての温かさとまじめさは、瞬く間に彼女を最も名誉あるバリスタの一人に押し上げました。
今や優秀なトレーナーとして、彼女が勤めるカフェのチェーン店が新店をオープンしバリスタを雇う度に、バリスタたちを彼女の元へ派遣しトレーニングを受けさせます。エスプレッソを抽出するために、コーヒーを作るにあたっての正しい事は何かを学ぶために。
□ハンディキャップの中での人生とキャリアの構築□
ンデレバさんの成功が驚くべきものであるのは、何も彼女の幼少の頃の状況が状況だったから、という訳ではありません。
驚くべき事に、彼女は週のうち6日、一日あたり10時間以上もコーヒーを作り、提供しているにも関わらず、彼女自身はコーヒーを飲まないのです。
エスプレッソマシンの前に立って数年以上が経過した今、彼女は、香りに対する鋭い感覚、見た目に関する感覚を備えてしまったのです。
彼女は失敗した場合、すぐに色や香り、クレマの状態などですぐに分かるそうです。
しかし、こうした仕事上で成功している彼女ではありませすが、日々の生活は決して楽ではありません。
週6日勤務は長く、ヨハネスブルグの賃料は安くはありません。
また彼女には3歳になる坊やがいます。仕事が終わると、保育園に迎えにいき、帰宅後、食事の支度に洗濯、掃除。
ジンバブエの家族に送金もしなければなりません。
店は繁盛していますが、一歩外へ出れば、急速に変化しつつある都市は、様々な問題を抱えています。
40%もの高い失業率、数多くの移民や住民との衝突、根強い人種差別、エイズの大流行などです。
彼女自身も店で白人から怒鳴られたり、差別を受けたりする事もあるそうです。
ただし、彼女曰く、「私自身は、歓迎されない移民の人たちのような扱いを受けたりすることはないわ。」と。
□彼女の夢と将来展望□
南アでは、本当にごくごく最近になって、少しずつコーヒー文化が育ちつつあります。
彼らにとってバリスタ大会に挑戦することは、夢のまた夢のような話。
でも、いつかバリスタ大会に出て、世界中のバリスタたちと出会う日を待ち望んでいるそうです。
それは同時に、南ア以外の国を旅することができる、という事も意味し、彼女の瞳が強く輝く瞬間でした。
現実は困難な問題を抱えながらも、彼女は将来に希望を持っています。
彼女は言います。
「確かに、私はお金が必要よ。でも、現時点では、お金の問題じゃないの。だって私はとても楽しんでいるしこの仕事を愛してるの。長いこと関わってきて、私にとっては家で仕事をしているような感じなの。」
彼女は自分だけでなく、周囲の人間にも希望を与えます。
彼女と一緒に働く、アッシャー フィリさんは「彼女は一緒に働くのに最高だわ。お客様も彼女が大好きなのよ。だからとても楽しいわ。」と言います。
いつかジンバブエに戻り、自分の店を持つ事が将来の夢だと言います。
「その時には、家族にもコーヒーの事を教えてあげたい。みんな、絶対に気に入ってくれると思うし、家族も私のことを誇りに思ってくれると思うわ。」
「コーヒーって、とても創造的な仕事なの。そして同時に自分自身が成長することもできる。
だから、私はみんなにもっとコーヒーの事を勉強してみて!って勧めているのよ。」
**
ヨハネスブルグの北部オークランドショッピングセンター内にンデレバさんが勤めるカフェがあるそうです。
訪れる時は、ぜひ月曜日以外に来て下さい、とのことでした。
南アフリカ共和国:Republic of South Africa
首都
人口比率:黒人75% 白人3% インド人9% その他
公用語:アフリカーンス語、英語、その他全部で11言語
主な産業:金、ダイヤモンドなどの鉱物採掘、自動車工業、その他農業品。
出典:barista magazine A Barista's Life in South Africa
□変わりつつある文化□
アフリカ大陸最南端に位置する南アフリカ共和国。
この国の住人たちは、昔から紅茶やビールを愛好していました。イギリス領であったことも影響していたかもしれません。
つい最近まで、南アの人々の口にスペシャルティコーヒーが入るということはなく、コーヒーと言えば、よくて”ネスカフェ”、ひどい場合になるとインスタントコーヒーにチコリが混ざったものだったのです。
しかし、この国にも少しずつ小さいながらも味覚に対する変化が起きています。そして、そんな変化の中で、よりスペシャルティコーヒーを広める為に働く一人の女性がいます。
南ア最大の都市、ヨハネスブルグにあるカフェ”ヨーロッパグルメバスケット”の24歳のバリスタ、ノムサ ンデレバさんです。
皆さんもよくご存知のように、南アは表舞台にその姿を表すようになったのは10年程前のことです。それというのも、アパルトヘイトによる人種差別による迫害と世界的な動きからの孤立が原因でした。
しかし、様々な民族解放運動の結果として解放、自由化が進み、人種差別の撤廃が進められました。(現実的にはまだまだ根強く残っています)
その自由化運動の動きの影響の一つとしてスペシャルティコーヒー文化が小さいながらも花を咲かせ始めています。
□偶然からコーヒーの世界へ□
ンデレバさんの子供の頃の環境を考えると、バリスタという職業に就くようになるとは想定外のことでした。
彼女は、南アと隣接するジンバブエのプラムツリーという小さな街で生まれ育ちました。
子供の頃は、コーヒーがどんな香りがして、どんな味がするか、またどんな見た目かも知らずに育ったそうです。何もない土地で、ただただ貧困だけがあったと言います。
そんな彼女は、中学3年ぐらいになるとそのまま勉強を続けるお金もなく、ジンバブエのムガベ大統領の圧政のために父親と共に南アに移ります。
そしてたまたまヨハネスブルグで働いていたいとこから、コーヒーショップでウェイトレスを探している、との話を聞き応募しました。
彼女が持っているものといえば、自分で身に着けた教養、そして無邪気な笑顔、ちょうど彼女の名前が意味する”優美さ”を備えた笑顔だけでした。
でもそんな彼女は、そのグルメバスケットカフェでウェイトレスの職を得ます。
そしてウェイトレス仕事の合間をぬって、マネージャーたちからミルクのスチーミングの仕方、エスプレッソの抽出の仕方を教わり、彼女のバリスタとしての才能が開花し始めるのです。
彼女のプロフェッショナルとしての高い意識、人間としての温かさとまじめさは、瞬く間に彼女を最も名誉あるバリスタの一人に押し上げました。
今や優秀なトレーナーとして、彼女が勤めるカフェのチェーン店が新店をオープンしバリスタを雇う度に、バリスタたちを彼女の元へ派遣しトレーニングを受けさせます。エスプレッソを抽出するために、コーヒーを作るにあたっての正しい事は何かを学ぶために。
□ハンディキャップの中での人生とキャリアの構築□
ンデレバさんの成功が驚くべきものであるのは、何も彼女の幼少の頃の状況が状況だったから、という訳ではありません。
驚くべき事に、彼女は週のうち6日、一日あたり10時間以上もコーヒーを作り、提供しているにも関わらず、彼女自身はコーヒーを飲まないのです。
エスプレッソマシンの前に立って数年以上が経過した今、彼女は、香りに対する鋭い感覚、見た目に関する感覚を備えてしまったのです。
彼女は失敗した場合、すぐに色や香り、クレマの状態などですぐに分かるそうです。
しかし、こうした仕事上で成功している彼女ではありませすが、日々の生活は決して楽ではありません。
週6日勤務は長く、ヨハネスブルグの賃料は安くはありません。
また彼女には3歳になる坊やがいます。仕事が終わると、保育園に迎えにいき、帰宅後、食事の支度に洗濯、掃除。
ジンバブエの家族に送金もしなければなりません。
店は繁盛していますが、一歩外へ出れば、急速に変化しつつある都市は、様々な問題を抱えています。
40%もの高い失業率、数多くの移民や住民との衝突、根強い人種差別、エイズの大流行などです。
彼女自身も店で白人から怒鳴られたり、差別を受けたりする事もあるそうです。
ただし、彼女曰く、「私自身は、歓迎されない移民の人たちのような扱いを受けたりすることはないわ。」と。
□彼女の夢と将来展望□
南アでは、本当にごくごく最近になって、少しずつコーヒー文化が育ちつつあります。
彼らにとってバリスタ大会に挑戦することは、夢のまた夢のような話。
でも、いつかバリスタ大会に出て、世界中のバリスタたちと出会う日を待ち望んでいるそうです。
それは同時に、南ア以外の国を旅することができる、という事も意味し、彼女の瞳が強く輝く瞬間でした。
現実は困難な問題を抱えながらも、彼女は将来に希望を持っています。
彼女は言います。
「確かに、私はお金が必要よ。でも、現時点では、お金の問題じゃないの。だって私はとても楽しんでいるしこの仕事を愛してるの。長いこと関わってきて、私にとっては家で仕事をしているような感じなの。」
彼女は自分だけでなく、周囲の人間にも希望を与えます。
彼女と一緒に働く、アッシャー フィリさんは「彼女は一緒に働くのに最高だわ。お客様も彼女が大好きなのよ。だからとても楽しいわ。」と言います。
いつかジンバブエに戻り、自分の店を持つ事が将来の夢だと言います。
「その時には、家族にもコーヒーの事を教えてあげたい。みんな、絶対に気に入ってくれると思うし、家族も私のことを誇りに思ってくれると思うわ。」
「コーヒーって、とても創造的な仕事なの。そして同時に自分自身が成長することもできる。
だから、私はみんなにもっとコーヒーの事を勉強してみて!って勧めているのよ。」
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ヨハネスブルグの北部オークランドショッピングセンター内にンデレバさんが勤めるカフェがあるそうです。
訪れる時は、ぜひ月曜日以外に来て下さい、とのことでした。
南アフリカ共和国:Republic of South Africa首都
人口比率:黒人75% 白人3% インド人9% その他
公用語:アフリカーンス語、英語、その他全部で11言語
主な産業:金、ダイヤモンドなどの鉱物採掘、自動車工業、その他農業品。
出典:barista magazine A Barista's Life in South Africa
April 13, 2006
コーヒーピープル:ジョージ ハウエル氏(3)
パート1、パート2とジョージさんのコーヒー業界における足跡を辿ってきましたが、今回はこうした経験から最終的にはやはりコーヒー豆そのものの追求へと戻って来た話をしたいと思います。
□Terroir Select Coffee(テロワール セレクト コーヒー)を設立□
2004年、彼は表舞台へ再登場します。
高品質なコーヒーを生み出す農園をもっと世の中に広く紹介したい、農園主たちと買付業者が対等の関係となり、もっとより良いコーヒーを作り出せるようになるべきだ、素晴らしいコーヒーは、ブレンドすべきでなく、単一のシングルオリジンとして楽しむべきだ、、とこうした想いから、自身の会社「テロワールセレクトコーヒー」を立ち上げます。
彼は優れたコーヒーをワインのようであるとよく表現します。
テロワールなコーヒーを世の中に送り出し、まだ未知の農園を探し出し、日の目をみてもらうことを目標としています。
テロワールとは、ワインの世界でよく使われる言葉で、その生産されている地域の風土や特性などから生まれでるその土地ならではのものを指します。
□2005年度ワールドバリスタチャンピオンへ豆の提供□
昨年シアトルで開催された2005年ワールドバリスタチャンピオンシップでひとつの衝撃的な事が起きました。
昨年の世界大会の覇者は、デンマーク代表のポールセンさん。
その彼がジョージさんが焙煎したエスプレッソを使い、見事優勝を果たします。
その豆がなんと!シングルオリジン!、すなわち一つの地域だけで構成されるエスプレッソを使って優勝したのです。
これは、関係者には大きな衝撃を与えました。
*通常、エスプレッソに使う豆は、大体においてブラジルが中心ですが、その他その店の好みに応じて数種類の地域(インドネシアの豆やアフリカの豆など)を加えてエスプレッソブレンドを作り出します。
このエスプレッソは、ブラジルのダテラ農園のもので、同じ農園の異なる種の豆を混ぜているので、極めて正確に言えばブレンドですが、それでも使っているのはブラジルの豆だけです。
今までは、一国だけでエスプレッソを構成することはあり得ない事であり、かつその一農園の豆だけで素晴らしい味を出せるという事が非常に衝撃的だったのです。(ちなみにチャンピオンのポールセンさんが抽出したエスプレッソにはのきなみ高得点が付けられていたそうです)
ポールセンさんは大会への参加を決めるやいなやジョージさんに電話をして彼のコーヒーを使いたいと依頼してきたそうです。
ポールセンさんが表現したい味に、まさにぴったりのエスプレッソだからだと。これはとても嬉しかったそうです。
とりわけヨーロッパでは、エスプレッソ発祥のエリアでもあり、ブレンドしたエスプレッソが当たり前になっていましたから、そうしたエリアで自身のコーヒーを求められたのはとても嬉しかったそうです。
アメリカでは、ダークロースト(色も黒に近い焦げ茶)が好まれる傾向にありますが、彼の焙煎はそれよりも多少浅い焙煎になっており、このエスプレッソで作り出すカフェラテ、カプチーノはまさに筆舌に尽くし難いおいしさだそうです。
これも全てはCoffee Connectionをオープンした時、うさんくさい外部に委託せず、自分たちで焙煎を行ったことがこの素晴らしい結果へと結実したんですね。
□焙煎だけでなく生豆の研究も□
豆の善し悪しは、焙煎もさることながら、生豆の品質にも大きく左右されます。
ジョージさんは、コーヒ豆自体の品質もさることながら、扱い方と保管方法の品質向上にも努めています。なぜなら、生豆そのものもなるべく新鮮に保つべきであると考えているからです。
そのため、ジョージさんは、生豆そのものを冷凍、するそうです。
生豆も麻の袋に入れたまま倉庫で放置しておくと、そのコーヒー豆を特徴づける素晴らしい香りや味が劣化するからだそうです。
結局、新鮮でない生豆を使うとどうしても深煎りの傾向になってしまうそうで(しかも深煎りにすると消費者は気付かない)、ジョージさんのように少し浅めの焙煎をしようとすると生豆の新鮮さが非常に重要になるそうです。
従来だと、生豆はそのまま麻の袋に入れておいても品質が劣化しないから、倉庫もさほど必要ない、というのがコーヒー業界では通説といってもいいかと思いますが、、これもかなり意外なお話でした。
ジョージさん曰く、こうやって生豆そのものの研究をしていると、スペシャルティコーヒー、そしてエスプレッソという世界は、赤ちゃんのような生まれたばかりの業界なんだな、と思うそうです。
それはレストランなどの業界に豆を卸していても感じる、と。
有名なレストランでさえ、コーヒーに対しては力を入れることがなく、料理はすばらしい(food is fine)のに、コーヒーは”Cup of Indifference”無関心の一杯になってしまっていると言います。
深い理解と尊重があれば、思慮深い心のこもった扱いを受けられるし、さらなる(新しい農園やコーヒーの)発見へと繋がるとジョージさんは考えています。
□バリスタにとって、コーヒーの世界で働く人間にとって大事なこと□
From seed to cup 豆からカップまで
ジョージさんは、世界チャンピオンのポールセンさんを高く評価しています。これは彼が自分の豆を使ってくれたからではありません。
ポールセンさんは、(多くのバリスタや人々が陥りがちな)エスプレッソを理解することがコーヒーの理解につながると思って自分のベースを作り出すのではなく、コーヒーそのものを学んで、それをエスプレッソに応用する点が非常に素晴らしいと言っていました。
コーヒーの誕生からカップへと届くまでのプロセスを理解することは何よりも大事なことだと言います。
「農園主たちは、自分のコーヒーを自分で飲まなければ、それがどんなものだか分からない、地域毎や国別に飲み比べたりしなければ、自分たちの味は理解できないだろう?」
「バリスタも業界で働く人間も一緒で、その豆がどこからどうやって生産され、この品質を持っているのかをきちんと理解しなければ最高の一杯を生み出す事はできない。」
「探究心や、探究心から生まれでる情熱、伝えたいという想い、これらが本物の品質を求める原動力になっているんだ。」
基本を知って初めて応用ができる、、本当に基本的なことが大切である事を改めて気付かされました。そして、情熱と継続する心と。
コーヒー、それに携わる多くの人々への深い尊重と理解、こうした思いを大切にしながら、ジョージさんの橋渡し役としての使命は今後も続き、その土地、その土地ごとの”テロワール”なコーヒーを紹介し続けてくれることと思います。
(終)
***
余談ですが・・・
自宅で焙煎に挑戦している”ホームロースター”の皆様。
自宅でもできれば密封タイプのものに入れて生豆を冷凍保存した方が良いそうです。
新鮮さが全然違うそうですよ!
April 12, 2006
コーヒーピープル:ジョージ ハウエル氏(2)

先日のパート1はスターバックスによる買収後、一時、コーヒービジネスという表舞台からは姿を消すジョージさんでしたが、スペシャルティコーヒーへの追求が止まることはありませんでした。
□グルメコーヒープロジェクトへの参画□
彼は1997年にICO(International Coffee Organization)および国連機関であるITC(International Trade Center)によって立ち上げられた、プロジェクト”Gourmet Coffee Project(グルメコーヒープロジェクト)”に参画します。
スペシャルティコーヒー市場(アメリカがメイン)において、より高品質なコーヒーを提供するために数カ国のコーヒー産出国からコーヒーを見つけ出すといった内容です。
彼は、ここでスージー スピンドラーさん(Susie Spindler)というプロジェクト全体を見るマーケティングコンサルタントの女性に出会います。
2年間、彼はブラジルの人々と話し合い、コーヒー豆のサンプルをアメリカの焙煎業者や輸入業者に送り続けて反応を見ますが、反応は芳しくなかったようです。
手詰まりになった、と話していました。
農園主たちの反応もアメリカに対しては思わしくなく、またアメリカの業者たちも、現時点で何の問題もなく販売しているもの(=コーヒー)に対して、なぜ改善したり、高い値段を払わなくちゃならないんだ?との反応を示していました。
こうした難しい状況の中で、最初の救いの手を差し伸べたのが、日本の林 秀豪氏でした。林氏は、そのコーヒーに対して、米国の通常の価格よりも高い値段で買い取ってくれたそうです。
しかし、なかなかプロジェクトはうまく行かなかったのか、さまざまな批判や不満の声もあったのでしょうか。プロジェクトは打ち切りの方向へ向かいます。
□カップオブエクセレンス設立へ□
このような絶望的な瀬戸際に陥った時、ジョージさんはブラジルで国際品評会を開催することを思いつきます。
これこそ「カップオブエクセレンス」、誕生の瞬間です。
スージーさん、そしてジョージさんの師匠でもあるマルチェロさんもこの考えを気に入り実行に移しました。
350以上(!)もの農園から集めた豆を4日間にわたってカッピングし続け、10の入賞者および優勝者を選出しました。
この時に前述の林氏を含めた5人のキーパーソンも参加します。
この素晴らしい10種類のコーヒーを誰に、どうやって売るべきなのか、、ジョージさんにとってその答えは明確でした。
オークションです。
欲しい人が欲しいものに、自分が価値あると認めた相応の金額を投じるオークションがふさわしいと考え採用されました。
そして、さらに、入札者たちが平等な環境で、大きなインパクトを与えるのに理想的だと判断し、インターネットによるオークション開催を行うのです。
このスージーさんによって名付けられたカップオブエクセレンスは、現在も開催され続け、成功しています。
この成功は、販売できた、とか、農園主たちの生活が改善された、といった点だけではなく、農園主たちへのフィードバックシステムとして構築され機能している点にもあると言います。
買付した業者たちから品質や、問題点やその他様々な機会が生産者たちにフィードバックされ、生産過程の改善によってより質の高いものを生み出したり、、と良いサイクルが進むからです。
それまでのコーヒー業界は、完全なる買い手市場でした。
農園主たちはただ単に大量のコーヒーを栽培するだけで、取引市場に農園の名前、作り手の名前が表舞台に出ることはありませんでした。
しかし、このカップオブエクセレンスの活動によって、高品質なコーヒーを生み出す作り手の名前が世に知られ、国際市場での販売を通じて、自分たちのコーヒーがどのように売られるのか、どう売るべきなのか、を学びます。
そして、買付業者と対等な関係を持ち、”パートナー”として存在するようになります。
カップオブエクセレンスのカッピングルールを開発するなど、運営の基礎を作ったジョージさんは、また再度コーヒービジネスの表舞台へと戻るのです。
つづく

